かつて日本のお札といえば、多くの人が聖徳太子の顔を思い浮かべるのではないでしょうか。聖徳太子は紙幣の肖像として歴代で最も多く採用された人物で、その登場は全部で7種類にのぼります。この記事では、選ばれた理由や歴代の紙幣、肖像画に隠された背景まで、やさしく整理していきます。
なぜ聖徳太子はお札の肖像に選ばれたのか
紙幣にだれの肖像を使うかは、通貨行政を担う財務省、発行元の日本銀行、製造元の国立印刷局の三者で話し合い、最終的に財務大臣が決める仕組みです。
選ばれるのは、国民に広く知られ、世界にも誇れる人物だとされています。聖徳太子は、十七条憲法によって国のかたちを整え、中国の文化を取り入れた人物として古くから親しまれてきました。
そうした業績と知名度の高さが、肖像にふさわしいと評価された理由だと考えられています。
お札に人物の顔が描かれる理由
お札に人物の顔が描かれるのは、見た目の印象だけが理由ではありません。人の目は顔のわずかな違いにも敏感なため、肖像は偽造を見破る手がかりになりやすいとされています。
精密に描かれた顔立ちは、精巧な偽造をいっそう難しくします。日本の紙幣は世界でも偽造が少ないとされ、肖像の精密さはその工夫を支える要素の一つです。
聖徳太子には細かな肖像画が古くから伝わっており、その点も採用を後押しした一因と考えられています。
聖徳太子が登場した歴代紙幣は全部で7種類
聖徳太子が肖像に使われたお札は、戦前の3種類と戦後の4種類を合わせて全部で7種類あります。これは日本の紙幣史のなかで最も多い登場回数とされています。
最初に登場したのは1930年に発行された乙百円券で、これが聖徳太子を描いた初めての紙幣です。百円札が4種類、千円札・五千円札・一万円札が各1種類という内訳になります。
歴代で最も多く登場したことからも、聖徳太子がいかに紙幣の顔として定着していたかがうかがえます。発行年と現在の状況を、次の表にまとめました。
聖徳太子が登場した紙幣一覧
| 種類 | 額面 | 発行開始年 | 現在の状況 |
|---|---|---|---|
| 乙百円券 | 100円 | 1930年 | 失効 |
| い百円券 | 100円 | 1944年 | 失効 |
| ろ百円券 | 100円 | 1945年 | 失効 |
| A百円券 | 100円 | 1946年 | 有効 |
| B千円券 | 1,000円 | 1950年 | 有効 |
| C五千円券 | 5,000円 | 1957年 | 有効 |
| C一万円券 | 10,000円 | 1958年 | 有効 |
戦前に発行された3種類の百円札
戦前に発行された聖徳太子の百円札は、乙百円券・い百円券・ろ百円券の3種類です。乙百円券は1930年、い百円券は1944年、ろ百円券は1945年に発行されました。
戦時から戦後にかけての物価の動きを背景に、百円札が繰り返し発行されたと考えられています。
円のほかに銭や厘が使われていた昔のお金の単位を思い浮かべると、当時の100円がいかに大きな金額だったかが分かります。聖徳太子の100円札がいつまで使えたのかは、専用の記事でも詳しく解説しています。
戦後に登場した4種類の紙幣
戦後になると、聖徳太子は4種類の紙幣に続けて登場しました。1946年のA百円券に始まり、1950年にはB千円券が発行されています。
さらに1957年には五千円札のC五千円券が、翌1958年には日本で初めての一万円札となるC一万円券が登場しました。
一万円という高い額面は、暮らしで扱う金額が大きくなった時代に合わせて設けられたものです。高度経済成長を支えた顔として、多くの人に記憶されています。
一万円札が福沢諭吉に代わるまで
長く一万円札の顔だった聖徳太子ですが、1984年に図柄が刷新され、肖像は福沢諭吉へと交代しました。聖徳太子の一万円券は1986年に発行が止められ、紙幣としての役目を終えていきます。
新しい一万円札が登場したことで、人々の目になじむ紙幣の顔も移り変わっていきました。
とはいえ、発行が止まったあとも、有効な銀行券としての扱いは続いています。発行が終わった紙幣という点では、二千円札が姿を消した理由もあわせて読むと、紙幣の移り変わりがより立体的に見えてきます。
肖像の元になった「唐本御影」の秘密
一万円札などに描かれた肖像は、「聖徳太子二王子像」という古い絵がもとになっています。別名を「唐本御影」といい、現存する聖徳太子の肖像として最も古いものとされています。
中央に太子、左右に二人の王子が立つ構図で、摂政となったころの姿を描いたと伝えられます。もともとは法隆寺が所蔵していましたが、1878年に皇室へ献納され、今は御物として保管されています。
ただし、本当に太子本人を描いたものかどうかには諸説あり、正確なところははっきりしていません。
聖徳太子のお札は珍しいのか
聖徳太子のお札は珍しいのか、という疑問を持つ人も少なくありません。発行枚数が多かったものは現存数も多く、状態が普通であれば基本的に額面どおりの価値とされています。
一方で、未使用のピン札や、ぞろ目のような珍しい記番号のものは、収集家に好まれることがあります。
希少かどうかは種類だけで決まるわけではなく、状態や番号によっても変わると考えておくとよいでしょう。
聖徳太子のお札は今でも使えるのか
戦後に発行されたA百円券・B千円券・C五千円券・C一万円券の4種類は、日本銀行が有効な銀行券と認めており、今も額面どおりに使えます。
一方、1946年の新円切替により、乙百円券など戦前の百円札は失効しました。旧札がいつまで使えるのかは、関連記事もあわせて確認すると安心でしょう。
手元の古いお札がどの種類にあたるかは、発行年や額面を手がかりに見分けられます。
聖徳太子とはどんな人物だったのか
聖徳太子は飛鳥時代の皇族で、推古天皇の摂政として政治を支えたとされています。身分ではなく才能で役人を登用する冠位十二階や、役人の心得を示した十七条憲法を定めたと伝えられます。
中国の進んだ制度を学ぶため遣隋使を送ったことでも知られています。こうした功績から、聖徳太子は長く教科書にも登場する身近な歴史上の人物となっています。
なお、太子にまつわる逸話には後世の伝説も多く、その正確さには不明な点も残ると言われています。
まとめ
聖徳太子は、日本の紙幣に合わせて7種類も採用された、お札の歴史を代表する顔でした。背景には、広く親しまれた人物像と、偽造防止に役立つ精密な肖像画の存在があったとされています。歴代の紙幣をたどることは、その時代の暮らしや経済を知る手がかりにもなります。古いお札を見かけたら、そこに刻まれた長い歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
免責事項:本記事は事実に基づく情報提供を目的としており、紙幣の売買や購入、投資を推奨するものではありません。古いお札の具体的な価値や取り扱いについては、日本銀行などの公式情報や専門機関でご確認ください。
