撰銭令が発令|粗悪な通貨を排除?物々交換から渡来銭に至る流れを調査

撰銭令が発令|粗悪な通貨を排除?物々交換から渡来銭に至る流れを調査
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現代では硬貨や紙幣を用いて物やサービスを買ったりしながら生活をしていますが、電子マネーやクレジットカードを使ったキャッシュレスが推奨されるようになっています。

しかし、古代の日本では原材料の不足を理由に自国で貨幣を生産せず、現在の中国である「宋」や「明」などの銭を使用していました。しかし、そのことがきっかけで流通が滞ったりする事態になっていたそうです。そこで発令されたのが撰銭令でした。

そこで今回は、撰銭令が発令された理由や渡来銭に至る流れなどを調査していきたいと思います。

目次

撰銭令とは?発令された理由はなに?

皆さんは歴史を学ぶ過程で撰銭令という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

撰銭令が発令されたのは、1500年頃の室町幕府の時代だったと言われています。室町幕府時代では、粗悪な銭(鐚銭)を避け、宋銭や明銭といった良質な銭(渡来銭)を求めて商いや納税を行う人が増えたため、撰銭令が発令されました。

しかし、なぜ宋銭や明銭と良質な銭を求める人が多かったのでしょうか。

撰銭令が発令された理由は粗悪な通貨の排除が目的だったと言われていますが、本当に宋なのか調査していきましょう!

粗悪な通貨を排除するためだった!

室町幕府の時代に発令された撰銭令ですが、粗悪な通貨の排除が目的だったと言われています。

室町幕府は宋銭や明銭といった渡来銭を公式な通貨として扱っていましたが、供給がストップし、国内への流通が少なくなってしまいました。流通が少なくなると、国内には質の高い渡来銭が減り、商人はそれを求めるようになります、質の低い渡来戦は本来の価値を失い、受け取りを拒否されることもあったそうです。

当時の日本は銅が不足しており、渡来銭や私鋳銭といった粗悪な通貨が出回るようになり、それを排除するために撰銭令が発令されました。

渡来銭はなぜ来た?物々交換からの流れ

1500年頃の室町幕府の時代まで宋銭や明銭といった渡来銭が多く流通していましたが、なぜ日本は海外の貨幣を使用していたのでしょうか。

古代の日本は元々、自国で生産された貨幣を使って生活をしていたはずですが、渡来銭に頼るようになったのはあることが関係していると言われています。

そこで今回は、渡来銭が来た理由などを調査していきましょう!

貨幣の価値が下落

古代の日本では、幕府からとても価値の高い皇朝十二銭と呼ばれる貨幣が精算されていました。

この皇朝十二銭は、奈良時代から平安時代中期にかけて12種類の銅貨が作られていましたが、市民が個人的に作る私鋳銭が流通するようになると、一気に貨幣の価値が下落するという問題が発生します。

私鋳銭の影響で皇朝十二銭の価値が下落したことや国内で良質な銅が産出されなくなったことを理由に、958年以降は公式な貨幣の製造がストップしました。

物々交換へ逆戻り

高い価値が与えられていた皇朝十二銭が私鋳銭の影響で下落してしてしまった影響で、日本国内では米や布などを物々交換するような、かつての生活に逆戻りしてしまいました。

物々交換のことを物品貨幣と呼ばれていましたが、平安時代後期から商業が盛んになり、日本経済は大きく成長しますが、商業などが盛んになると、物々交換では様々な面で対応することができなくなり、貨幣の重要性が高まっていきました。

日本国内では貨幣が製造されていなかったため、主な輸入先であった中国の宋銭や明銭といった渡来銭を使うようになります。

まとめ

今回は撰銭令が発令された理由や物々交換から渡来銭に至る流れなどを調査してきました。

室町幕府は宋銭や明銭を使用していましたが、輸入先であった宋や明の情勢などの影響を受けて渡来銭の供給がストップしてしまい、日本国内には質の低い貨幣や私鋳銭などが多く出回り、それを排除するために撰銭令が発令されました。

古代の日本は皇朝十二銭という自国の貨幣を用いていましたが、価値が暴落し、一時的に物々交換の生活に逆戻りしている時期もありましたが、それを打破するために渡来銭が使われていたそうです。

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この記事を書いた人

今まで勉強してこなかった歴史と経済にハマり、仕事を辞めて世界を放浪中。旅行をしながらその土地の文化と歴史に触れています。キャッシュレスが進む昨今ですが、意外と貨幣にはその国の歴史が詰まっていました。いつ現金がなくなるか分かりませんが、今だからこそ世界のお金のトレビアを紹介します。

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