【お金の歴史】日本古代のお金|富本銭とは?和同開珎との違いも調査!
2024年7月3日に一万円札、五千円札、千円札のデザインが変わり、新紙幣が多く流通するようになりました。また、2021年11月1日には五百円玉も素材や側面の模様が変わったことも記憶に新しいのですね。今でこそ、お金はお札や硬貨になっていますが、昔はどんなお金を使っていたのでしょうか。昔のお金は物によっては、高値で取引されるほど高価な物になっていますね。そこで今回は、日本古代のお金「富本銭」と「和同開珎」について紹介していきたいと思います。
富本銭とは?
「富本銭(ふほんせん)」は、日本で最も古い貨幣の一つとされる古代の銅貨です。7世紀後半から8世紀初頭にかけて鋳造されたと考えられており、主に邪馬台国飛鳥時代の終わりから奈良時代の初期にかけて流通していたとされています。「富本銭」は、発見されるまでその存在が知られていなかったため、長い間、日本最古の貨幣は和同開珎(708年鋳造)だと考えられていたようですね。しかし、1960年代に奈良県飛鳥村(現在の明日香村)で発掘された「富本銭」によって、和同開珎よりも古い貨幣であることが明らかになりました。
富本銭の形や素材、特徴は?
邪馬台国飛鳥時代に鋳造されていて、日本最古の公的な貨幣であることが証明された「富本銭」ですが、どのような形、素材、特徴があるのでしょうか。「富本銭」の形や素材、特徴を詳しく見ていきましょう。
形・素材
「富本銭」の形・素材は現代の硬貨と同じような円形の形をしており、中央に四角い穴が空いているのが特徴です。こういった形の硬貨のことを「円形方孔(えんけいこうほう)」といいます。「富本銭」には、国産の堂とアンチモンの合金が使われていて、621年(推古29年)の唐(現在の中国)で使われていた「開元通宝(かいげんつうほう)」がモデルになっているとか。
特徴
「富本銭」の特徴としては、表面に「富本」の文字が刻まれており、その形状や材質から、貨幣としての使用だけでなく、宗教的な目的や、特定の儀式に用いられた可能性もあるといわれています。ただし、「富本銭」が実際に広範囲で流通していたかについては議論があり、流通範囲が限られていたか、あるいは象徴的な意味合いを持っていた可能性もあります。「富本銭」の特徴は、直径が約24.4mm、方孔(穴)の大きさは縦が約6mm、横が約6.5mm、厚さは約1.5mm、重さは4.3gから4.6gほどになっているようですね。
和同開珎とは?
「和同開珎(わどうかいちん)」は、日本で初めて本格的に鋳造された官銭(政府が発行した貨幣)であり、奈良時代にあたる708年に発行されました。「和同開珎」は「富本銭」が発見されるまで日本の古代貨幣と考えられており、貨幣歴史の中で非常に重要な位置を占めています。「和同開珎」は、直径約2.4cm、重さ約3.75gの銅製の円形貨幣で、中央に四角い穴が開いていて、表面には「和同開珎」の文字が刻まれてることが明らかになっていますね。「和同開珎」も「富本銭」と同じように、中国の「開元通宝」をモデルにしたとか。
富本銭と和同開珎の違いは?
「富本銭」は7世紀後半から8世紀初頭に鋳造された日本最古の貨幣で、飛鳥時代の終わりから奈良時代初期に流通したとされています。一方、「和同開珎」は708年に発行され、日本初の本格的な官銭で、奈良時代に広く流通しました。「富本銭」は流通範囲が限定的で儀式的な意味も考えられるのに対し、「和同開珎」は中央集権化と経済安定を目指して発行され、全国に広く流通しました。このように「富本銭」と「和同開珎」には、流通範囲の違いがあります。
まとめ
今回は日本最古の貨幣である邪馬台国飛鳥時代の「富本銭」の素材、形、特徴、「和同開珎」との違いなどについて調査してきました。「富本銭」が発見されるまでは、「和同開珎」が日本最古の貨幣で、どちらも中国の「開元通宝」を参考にしたといわれています。「富本銭」は流通範囲が狭く、儀式的な意味もあったとされている一方で、「和同開珎」は奈良時代の経済を安定する役割を果たしていて、全国各地に流通したそうです。古代のお金は現代とは違う意味なども含まれているので、お金の歴史を学ぶのも面白いかもしれません。