日本で最も有名な埋蔵金伝説と言えば「徳川埋蔵金」ですが、それと並ぶくらいに知られているのが「豊臣埋蔵金」と「結城埋蔵金です。
「豊臣埋蔵金」は約4億5,000万両という金額が豊臣秀吉によって隠されたと言われていますが、「徳川埋蔵金」と同じように未だ発見はされていません。また、「結城埋蔵金」は戦国時代から江戸時代にかけて活躍した結城晴朝によって隠された埋蔵金ですが、こちらも発見に至ってはいないようです。
今回は「豊臣埋蔵金」と「結城埋蔵金」の噂の根源やどこに隠され、いくらになるのか調査します。
豊臣埋蔵金の謎とは?
「徳川埋蔵金」と並び、日本三大財宝伝説と言われている「豊臣埋蔵金」と「結城埋蔵金」ですが、噂の根源は一体何なのでしょうか。
まずは、「豊臣埋蔵金」の噂の根源やいくらに相当するのか、隠し場所について詳しくみていきましょう。
噂の根源
「豊臣埋蔵金」は慶長3年に病になってしまった豊臣秀吉が将来のことを考え、蓄えていた財宝がどこかに隠されていると言われたことが発端のようです。
「豊臣埋蔵金」は多くの探検者や考古学者が探索を試みましたが、具体的な証拠は見つかっていません。また「豊臣埋蔵金」に関する話は、民間伝承や文化作品にも影響を与えており、映画や小説、テレビ番組などで取り上げられることも多いです。
200兆円!?
豊臣秀吉によって蓄えられていた埋蔵金の金額は4億5,000万両といわれ、現在の価格に換算すると200兆円になるのではないかと言われています。
豊臣秀吉がどのようにして200兆円というとんでもない額の財宝を蓄えられていたかは明らかになっていませんが、発見したとなれば大きな話題になりますね。
「豊臣埋蔵金」は金額が金額なだけに、1箇所ではなく、複数に分けて隠しているのではないかと言われています。
隠し場所は多田銀山?
未だ発見されていない「豊臣埋蔵金」ですが、隠し場所は兵庫県川辺郡猪名川町にある多田銀山に隠されているのではないかと言われています。
豊臣秀吉は生前、全国各地の鉱山から金を掘り、それをそれほど知名度がなく、大阪からも近い多田銀山の中に、21箇所に分けて隠させたと言われているようですね。
結城埋蔵金の謎とは
「徳川埋蔵金」と「豊臣埋蔵金」に比べれば金額は大きくないとされている「結城埋蔵金」ですが、噂の根源や隠し場所、現在の価値に換算するといくらになるのでしょうか。
「結城埋蔵金」の謎に迫っていきましょう。
噂の根源
「結城埋蔵金」とは、戦国時代の武将、結城秀康に関連する伝説で、彼が隠したとされる財宝のことです。結城秀康は、豊臣秀吉の家臣で、後に結城氏の初代当主となりましたが、彼の死後は子孫である結城晴朝などが「結城埋蔵金」の管理などをしていたとされています。
「結城埋蔵金」も多くの学者などが探しましたが、発見されておらず、財宝などは家族や領民のために使われたとも言われているようですね。
1.8兆円
「結城埋蔵金」の金額は現在の価値に換算すると、約1.8兆円になるのではないかと言われています。
「徳川埋蔵金」や「豊臣埋蔵金」に比べれば、大きい金額ではありませんが、一戦国武将が蓄えていた額としてかなり大きいのではないでしょうか。「結城埋蔵金」は戦の褒美などが財宝だと考えられているので、どれだけ合戦で活躍したのかが分かりますね。
隠し場所は結城城?
「結城埋蔵金」の隠し場所は茨城県結城市にある結城城(城趾公園)のどこかに埋まって埋まっているのではないかと言われています。
「結城埋蔵金」も発見されていませんが、埋蔵金のヒントになる和歌が結城城の門に刻まれているとされ、この謎を解くと見つけることができるのではないかとされているようですね。
しかし、江戸時代以降に何度も「結城埋蔵金」を見つけようと、発掘調査が行なわれていますが、発見されていません。
まとめ
今回は「徳川埋蔵金」と並ぶ日本三大財宝伝説である「豊臣埋蔵金」と「徳川埋蔵金」に関する謎について詳しく調査してきました。
「豊臣埋蔵金」は現在の価値に換算すると200兆円ともいわれ、兵庫県にある多田銀山のなかにあるとされていますが、未だ発見されていません。また、「結城埋蔵金」も1.8兆円の価値があるとされていますが、隠し場所として有力な場所からは見つかっていないようです。
「埋蔵金」が本当にあるのかは明らかになっていませんが、今後も発見されるか注目していきましょう。