世界最古の紙幣|北宋代の交子とは?会子との違いも解説

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日本などでは古くから金や銀がお金として使われていました。そのため、多くの人は金貨や銀貨について知っていると思いますが、世界最古の紙幣についてはご存知でしょうか。

世界最古の紙幣は交子というようですが、どういったものか気になりますよね。

そこで今回は、世界最古の紙幣である北宋代の交子とは何か、会子との違いを解説します。

目次

北宋代の交子とは?

世界最古の紙幣であるとされているのが、北宋代に使われていたとされている交子と呼ばれるものです。現在、日本などで使われている紙幣は金額と肖像画、模様、ホログラムが描かれていますが、比較的シンプルなデザインとなっています。

しかし、世界最古の紙幣である交子はデザインなどが現代のものとは大きく異なり、サイズも違ったそうです。ちなみに、日本で使われている紙幣のサイズは、縦が76mm、横は150mm~160mmとなっています。

それでは、交子がどういったものなのか詳しくみていきましょう。

11世紀前半に誕生

北宋代と言われてもどのくらいの時期か、分かりづらいですよね。交子が誕生したのは11世紀前半で、中国・四川地方(成都)で作られたとされています。

ただ、当時の中国では商業活動が盛んに行なわれており、商売のやり取りでは主に銅銭(銅貨)が使用されていました。しかし、交子が作られた四川地方では銅の産出量が少なく、代わりに鉄銭が使われていました。その後も銅不足の状態は続きますが、他勢力の影響もあって鉄銭を使わざるを得なかったそうです。

重量を解決するために作られた

銅銭や鉄銭が使われていた中で、紙幣である交子が誕生したのは重要が関係していました。銅銭自体も重さがあり、大量に運ぶのは難しいものでしたが、代用品であった鉄銭はさらに重量があり、価値は10分の1ほどしかなかったとされています。

ちなみに、当時の銅銭は1貫で1,000文という単位で、4kgほどの重さがあったそうです。

そういった問題を解消するために作られたのが、交子でした。交子を流通させるために、四川の中心都市である成都に交子鋪と呼ばれる組合を16作り。鉄銭の代わりとして使用していきます。

仕組み

交子の仕組みとしては、商人は交子鋪に銅銭などを持ち込みます。そうすると、交子鋪から交子(預かり証書)が発行され、それを他の商品との取引に使用することができるという仕組みになっていたそうです。

これにより、重さのある銅銭を持ち歩く必要がなくなり、離れた場所にいる商人との取引もしやすくなったとされています。

また、交子は状況に応じて銅銭に換金することができましたが、使用期限があったため新札と交換する必要があり、手数料がかかったそうです。ちなみに、交子の種類は1貫、2貫、3貫だったと言われています。

政府の事業へ

元々は四川で行なわれていた交子鋪などの仕組みですが、銅銭が足りなくなったことをきっかけに不払いが起きてしまいました。

1023年、宋政府は以前から交子という制度と利益に目を付けていて、民間で交子を発行することを禁止にして官業へ変えます。そのため、交子は官業へと変化し、このことをきっかけに預かり証書から正式な紙幣となりました。交子は利便性が高いということで需要が増え、他の地域でも広く流通していくようになりましたが、むやみやたらに発行されたことなどで一気に価値が下落してしまったそうです。

特徴

紙を作ることや印刷技術などは当時の環境では難しいとされており、その証拠にヨーロッパで紙幣が初めて発行されたのは17世紀半ばだとされています。

難しいはずである印刷技術などが用いられた世界最古の紙幣ですが、どのような特徴があったのでしょうか。

交子を発行する際には銅の原板が使われていたそうで、紙幣には家や樹木、人といったものが描かれ、縦16cm、横9cmというサイズだったそうです。

現代発行されている紙幣が横長であるのに対し、交子は縦長だったようですね。

交子と会子の違いも解説!

世界最古の紙幣である交子ですが、会子とはどういった違いがあるのでしょうか。

そもそも、会子とは中国南宋時代に発行されたもので、1161年に臨安で初めて発行されたものです。

会子は交子を真似て発行された紙幣であるため共通点なども多く、偽造防止のために同じように使用期限といった制限が設けられていたと言われています。

ただ、最終的にはインフレーションの影響などで価値が落ちてしまい、新たな紙幣へと移り変わっていきましたが、交子と会子の違いは何なのでしょうか。

時期

交子と会子の違いで最も分かりやすいのは、時期ではないでしょうか。

交子は世界最古の紙幣とも言われていることからも分かるとおり、会子よりも先に誕生しました。

記録では、交子が誕生したのは11世紀前半の四川とされており、会子は12世紀の臨安で発行されたとされています。

このように、交子と会子では発行された時期や使われていた時が違うということが分かりますね。なので、交子の後に会子ができたということを覚えておきましょう。

発行元

交子と会子の違いは、発行元で区別することができます。

上記でも説明したように、交子は四川で作られた16の組合を元に流通し、その後に政府直轄事業へと変化しました。

一方で、臨安の役人が四川で発行されていた交子を真似て会子を発行したため、最初から政府が主導で行なう事業だったとされています。

このように、交子と会子では違いがあり、モデルケースとして参考にして発行されていたので、成り立ちが違っていたのではないでしょうか。

流通範囲

交子と会子も流通していた紙幣ではありますが、両者では広まった範囲が違ったと言われています。

交子は元々が商人の発案によって生まれたものであることや初めて導入された制度ということもあり、四川以外での信用度が低かったそうです。そのため、国が認めた正式な紙幣であるはずの交子ですが、地域通貨的な性格が強いとされています。

それに対して会子は、最初から国主導でできた紙幣・制度であることから信用度も高く、臨安以外の地域でも流通していったそうです。また、臨安では会子に加えて銅銭も使うことが許されたとされています。

まとめ

今回は世界最古の紙幣である北宋代の交子とは何か、会子との違いを解説しました。

交子と会子には違いがありましたが、参考にして作られたということもあり、使用期限などの共通点などもあったようですね。

また、交子の買取価格は数百円〜数千円とそこまで高くはないようですが、歴史的価値などはありますし、欲しがる人もいると思うので見つけたら保管しておくようにしましょう。

この記事を書いた人

今まで勉強してこなかった歴史と経済にハマり、仕事を辞めて世界を放浪中。旅行をしながらその土地の文化と歴史に触れています。キャッシュレスが進む昨今ですが、意外と貨幣にはその国の歴史が詰まっていました。いつ現金がなくなるか分かりませんが、今だからこそ世界のお金のトレビアを紹介します。

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